04/01/26 【続・彼女の歌が哀しく聞こえるか?】
作曲家寺島琢哉氏との縁は20年ほど前、知人の紹介でアルバイトに来て貰ってからである。
当時まだ学生だったと記憶しているが、とても素直な好青年だった。
その彼が音楽家を目指してニューヨークへ旅立った。
ニューヨークへ着いた彼が人のつてで紹介され、ニューヨーク滞在の8年間師事したのがジミー・スコットで
あり、そのジミー・スコットの音楽の師匠がビリー・ホリデイだと言うのだ。
何とも奇遇な話である。
余談だが、ジミー・スコットの弟子には有名なマドンナなどが名を連ねているそうである。
さて、肝心なビリー・ホリデイの人生である。
不出生のジャズシンガーとしての名声も高いビリー・ホリデイだが、その人生は哀しく且つ不遇なものだった。
1915年4月7日、バルチモアの地で、15才と13才の両親、母セイデイとクレランス・ホリデイの間に(後の
研究では母19才、父17才、それより6才上との説もある)婚外子として生まれ、10才で強姦され15才の時
には売春罪で投獄されると言う哀しいというか痛ましいほどの少女時代を過ごしている。
(父、クレランス・ホリデイは後にフレッチャー・ヘンダーソン楽団などでギター奏者として活躍している)
ビリーホリデイは9才と11才の時施設に入れられたが、その後は学校にも行かず、エルセル・ムーアと言う
売春宿の経営者の所へ入り浸っり、そこで良く歌っていた。
20年代後半、当時ニューヨークにいた母の所へ行くが、母が探してきた勤め口もすぐに辞めてしまった。
この頃母と共に売春罪で投獄されたが、彼女が売春を職業としていたのかいなかったのかは定かではない。
この頃から歌うことに夢中となり、独自の歌唱法も身につけてそれがまた人気を呼んだ。
後にジャズ史上最大の女性シンガーと呼ばれるようになるビリー・ホリデイだが、そこに至るまでには最初
に彼女の異才を見いだしたジョン・ハモンドやレスター・ヤングなど様々な出会いを得て、コモドア・レーベル
に吹き込んだ「奇妙な果実」により一気にスターダムに駆け上がった。
「奇妙な果実」
詩人ルイス・アレンから見せられた一遍の詩。
それはリンチによって殺された黒人が木につるされている南部の悲惨な様を描いた詩だった。
南部の木々に奇妙な果実がむごたらしくぶらさがっている
その葉は血に染まり、根元にまで血潮はしたたり落ちている
黒い遺体は南部の微風に揺れそよぎ、
まるでポプラの木から垂れさがっている奇妙な果実のようだ
美しい南部の田園風景の中に思いもかけずみられる
腫れあがった眼や苦痛にゆがんだ口、
そして甘く新鮮に漂う木蓮の香りも、突然肉が焦げる匂いとなる
群がるカラスにその実をついばまれた果実に雨は降り注ぐ
風になぶられ、太陽に腐り、遂に朽ち落ちる果実
奇妙な、むごい果実がここにある
この詩に深く心を揺さぶられたビリー・ホリデイはそれに曲を付けて歌った。
時は1939年、ビリー・ホリデイ24才、まだまだ人種差別が激しく渦巻いていた時代である。
その僅か3年前のベルリン・オリンピックで、ヒットラーのゲルマン民族こそ世界最高の民族の証明という野
望をうち砕き、陸上競技の100M、200M、走り幅跳び、400Mリレーの4つの金メダルに輝いた世界的英
雄、ジェシー・オーエンスさえも黒人という理由だけでまともな扱いを受けられないどころか、その後は犬や馬
との競争などあまりにも酷い扱いを受けている。
後にベルリンオリンピックはオーエンスのオリンピックと称えられているほどの世界的英雄に対してさえこれ
程の扱いをして尚恥じなかった時代である。
オリンピックについて言うならば、それから24年後の1960年ローマ・オリンピックのボクシング金メダリスト
カシアス・クレイ(モハメッド・アリ)もあまりの非礼な扱いに怒り金メダルを川に投げ捨てたと言う逸話も有る。
ともかく、それ程激しい人種差別の時代に「奇妙な果実」を歌ったその勇気、その気概には敬服するばかり
である。
ともすればアフリカ系黒人は環境に唯々諾々と順応する、ただただ柔順な(そのように馴らされた)人々と思
いがちであるが事実は全く違う。
あの有名な奴隷船では勇猛果敢な反乱や、スコールの時、体を洗わせろと言って甲板に出て一斉に海に身
を投げたと言う史実もあるように、元々誇り高き民族なのである。
そもそもハイチなどで展開されたプランテーションの労働力としてアフリカから連れてこられたのがアメリカ大
陸での奴隷の始まりとされるが、それを企てたのが当時の司教であり許可したのがスペイン国王だった。
また実際に黒人をかり集めたのは同じアフリカ人であった事を思えば、人間の裏切りというものがどれ程醜
く恥ずべき事か解る。(このへんに付いてはハイチ革命を主題にした、ブラック・ジャコバン【増補新版】 トゥサン=
ルヴェルチュールとハイチ革命. 著者●C・L・R・ジェームズに詳しく記されている)
この頃、奴隷は過酷な労働と冷酷非情な待遇の中、3ヶ月から6ヶ月で死んでいったと言われている。
30数年前、ボールディングが著書「宇宙船地球号」で唱えた4つの危機の一つ。【人種を越え、宗教を越えて
人類が調和出来得る哲学の不在】が解消されるのはいつの日だろうか。
私はいつも思うのだが、世の中のシステムとしての矛盾はその中心に人間主義が有れば大概のものは解決
の方法があるはずである。
曰く、国家や組織の論理。
曰く、権力や権威の論理。
曰く,利潤追求の論理。
これらの論理の前にどれ程の人が犠牲になってきたことか。
世の中には美辞麗句に隠された矛盾があまりにも多く蔓延りすぎている。
寺島氏との話はカーネギーホールでのビリー・ホリデイとサラ・ボーンの競演の様子、黒人指導者キング博士
の有名な演説「私には夢がある。いつの日か私の子供達と白人の子供達が仲良く遊んでいる・・・」、そして
「武力で制圧した者は、征服された者にいつか必ず精神性において負ける」と言う意味の話で終わった。
彼女の歌が哀し聞こえるか? については、アーティストの心が、あるいは作曲家の心のひだが感じられる
ような音を常に目指しているので、多分JJのMasterが考えているような音が出ていると思っている。
ビリー・ホリデイの何とも言い難い凄みと言うか侘びしさ、哀しさに満ちあふれた独特の歌唱にアフリカ系黒
人の苦悩に満ちた悲惨な歴史を見る思いがしてならない。
「人に名誉を与えるのは、心であって、評判なんぞではありませんぞ」とはベートーベンの第九の詞でも知ら
れる劇作家シラーの言葉である。
ビーリー・ホリデイの屹立した精神と素晴らしき歌に最敬礼。
03/12/14 【彼女の歌が哀しく聞こえるか?】
ある日のこと、仕事を終えていつものようにステレオから流れる音楽を聴いていた。
かかっていた曲はビリー・ホリデイの ” I’M A FOOL TO WANT YOU ” だった。
そこへふらっと入ってきた常連のビールの泡さん(H・N)が呟いた。
「JJのマスター(大坂は歌島でジャズを聴かせる理容室のMaster)がこのCDの事を『彼女の歌が哀しく
聞こえるか?』と言っているんだけど、確かに難しい曲だよね」 ここまでは良として「でも最近のここ(出水
電器)の音は上手く鳴っている方だと思う」とのたもうた。
ま、辛口評論家の彼が誉めてくれているのだからここは一応喜んでおくべきか。
JJのマスターが言っているのは、歌っているビリー・ホリデイの心の哀しみがちゃんと伝わってくるか?、そこ
までシステムを調整しているかというオーディオに関する問いかけなのだろう。
ビリー・ホリデイの歌が哀しく聞こえる!
これは彼女の人生を抜きにしては語れない。
ビリーホリデイは栄光と影が激しく交差した人生そのものと言われる。
私が最初にビリー・ホリデイの歌を聴いたのは20年近く前のことだった。
友人の家でテレビを見ていたときコマーシャルで流れてきたのが彼女の歌だった。
その声は強烈に印象に残った。
やや突き放したような、何か達観したような歌い方はとてつもなく深い悲しみを乗り越えてきた印象を受け
た。音楽に詳しい友人に聴いたら「ビリー・ホリデイじゃないか?」と言った。
それから何年かたって、同じ商店街でビデオとCDのレンタル店が閉店することになり、そこで処分販売され
ていたCDを何枚か買った。
その時はジャケットを見て何となく良さそうだったので買ったのだが、それがビリー・ホリデイのビッグコンサー
トとしては最後となった、亡くなる9ヶ月前の第一回モンタレー・ジャズ・フェステバル(1958年10月初め)で
の録音を28年ぶりにCD化したものだったのである。

【第一回モンタレー・ジャズ・フェステバルのCD】
話はさらに飛んで今年の夏、作曲家の友人が久しぶりに来て相も変わらず音楽談義をしながら過ごした。
そして、私がこの歌手が大好きなんだ、と言ってビーリー・ホリデイをかけたところ、曲の合間に彼が意外な
事を言った。
「この人は私の音楽の師匠の師匠です」
つづく。
03/11/20 【無敵のタイソン】
タイソンと言ってもプロボクサー のタイソンではない。
我が家に良く顔を出す野良猫である。
名前の由来はその風貌とご近所界隈のボス猫である事から来ている。
名付け親は例によって我が家の家内。
このタイソン、顔はお世辞にも男前(オス前?)とは言えない。おまけにとても汚い。(汚かった)
この猫が近所に住み着くようになったのは、お隣のお嬢さん”ゆりかちゃん”に気にいられたからであった。
それまでもお向かいのおそばやさんの奥さんに可愛がられ、毛並みの手入れなどして貰っていた。
物心付いた”ゆりかちゃん”がその汚い野良猫に頬ずりして可愛がるのを見て大人達は不思議がった。
ある時理由を聞いたら「タイソンは親もいない。兄弟もいない。お家もない。可哀想だよ」と、ぽつりと言った。
それを聞いた大人達は更に驚いたものだ。
なぜなら”ゆりかちゃん”は僅か生後7ヶ月で母と死別し、大好きなパパと祖父母と4人で暮らしていた。
そんな”ゆりかちゃん”がタイソンを可愛がっているのだ。もう粗末に出来ない。
そん事からタイソンは近所のみんなに可愛がられるようになったのである。
もとより人なつっこい性格の猫だったので、我が家に出入りするのに日にちは掛からなかったが、いかんせ
ん元が野良猫である。家に居着くことは無かった。
それでも具合が悪くなったり怪我をすると治るまでおとなしく我が家にいた。実にチャッカリした猫なのだ。
ある時など頭に何かくっついているので取ろうとしたら何か変なのである。
よくよく見れば、それはエアーで打ち込んだ釘だった。それも目の横から口の中まで貫通していた。
何という人でなしの所行か! こんな輩がやがて動物を殺し人を傷つけるようになるのだ。
怒りに震えながら獣医の所へ連れていった。
しかし流石はタイソン、不死身だった。奇跡的に完治したのだ。

よく見れば愛嬌も有る【タイソン】
(最近少し衰えが見え始めた)
最近ではこんな事もあった。
ついにタイソンも死んだのか?
サッパリ顔を見せないので心配していたら、お隣の池上温泉に来るお客さんが、自販機の所で寝ていたタイ
ソンを見て病気で行き倒れた(猫の行き倒れ?)のだと思い病院に入院させたらしい。
費用もかなり掛かったはずである。よほど動物好きの人なのだろう。
一週間ほどしたらタイソンは何事もなかったかのように近くを徘徊し始めた。
世間では自分の子さえ殺す親がいるというのに、何と”運の良い野良猫”なんだろう。
殺伐とした世の中ではあるが、我が西蒲田界隈の住人は心優しき人達で一杯である。
03/11/15 【岩田さんのこと】
9月に逝去された《四畳半でアルテック604を聴く男》岩田さんの事は、このHPを見られている方は多分
ご存じだと思う。
今となってはあの人なっつっこい笑顔と人柄の良さが懐かしく、早すぎる死が悔やまれてならない。
岩田さんについての想い出はたくさんあるが、中でも最初の出会いや(【音の達人たち】bO02を参照)
一緒に伊豆までJBL4343Bを引き取りに行ったこと、私が某BBSで訳の分からない批判を受けていた時
力強く励ましてくれた事が忘れられない。
その書き込みに子細に目を通して彼が言った一言「この人は電気一般も無線についても専門家じゃない!」
は印象的だった。(岩田さん自身は無線の技術者)
例えば私が作る分電盤は火災の恐れが有るという批判に対して、「確かに日本でも過去に一度火災は有っ
たが、それは巨大な出力の違法無線(車載)と何かの大消費電力の会社が偶然も偶然、たまたま影響し合
って分電盤の配線が燃えたのであって、決して一般論として成り立つ話では無い。今ではそんな違法無線も
無いし家庭用オーディオやシアターでは電流そのものが知れている。まして通常配線より許容電流の大きな
CV8スケがまかり間違っても燃えるなんて考えられない」と言った。
その後、彼の知人でアマチュア無線の第一人者で何冊も著作が有る方にも会ったり、オーディオの仕事を
する前によく仕事をした大森日赤の電気主任や病院の電気設計を専門にしている人、放送局などで工事に
携わったりする人にも色々聞いたりしたものである。
異常とも思える一連の批判については良く岩田さんと話したが、正確を期すべき立場の人とも思えない
不明確な記述が多いと笑っていた。
某氏が繰り返し批判している100A ELB(正確には100Aフレーム50A ELB)の使用についても当然
理由が有るが、工事経験のない氏には多分解らないだろう。
また、私の工事内容については1年近く前から充分知っていたし評価もしていたはずである。
一連の批判の僅か1ヶ月ぐらい前にくれたメールや電話では、色々教えて欲しいとまで言っていた。
私は人を貶めたり辱めたりして喜ぶ趣味は無いので、氏の二面性をどう理解したものか今だに解らない。
何はともあれ、このことでかえって電源に対する知識を深める事が出来た事を思えば、某氏は正に得難い
存在だったと言える。
話がそれてしまったが、岩田さんは無類の動物好きでもあった。
我が家は(家内が)良く野良猫を拾ったり、野良猫が勝手に住み着いたりするのだが、4年ほど前から飼って
いた”クロ”も岩田さんには随分かわいがって貰った。
この”クロ”も元々野良猫でいつも駐車場の所でジーッと日向ぼっこをしていたが、その臆病さと言うか警戒
心の強さは尋常では無かった。
よく見ると前足も後足もなんだか変で普通に走れず、逃げるときもトコトコと小走りに逃げて行った。
黒猫と言うことで気味悪がられ、よほど虐められたのだろう。一度隠れると何日も出てこなかった。
家内はあまりにもかわいそうだと言い、餌付けを始めたが抱き上げられるまでに1年半もかかった。
そして家に入れてからも半年間は餌を食うときと用を足す以外押入から出てこないほど臆病な猫だった。

岩田さんにも可愛がられた”クロ”
1年ほど前、元々体の弱い”クロ”が体調を崩し余命幾ばくもないと獣医に言われた時、岩田さんがこれを呑
ませろと自分が使っている浄水器で精製した水を持ってきた。
不思議なことにその水を飲ませたら”クロ”はまた元気になったのである。
その”クロ”が再び具合が悪くなったのは9月中旬、岩田さんが亡くなった直後だった。
一ヶ月近く点滴で持ったがついに死んでしまった。
死ぬ直前まで私と家内の姿を見るとヨロヨロしながら寄ってきて本当に可哀想だった。
あの”クロ”はきっと岩田さんの後を追っていったのだろう。
心優しき岩田さんのご冥福を心からお祈り致します。
03/05/8 【天才的な回路設計技術者でミクサーがいた。ヒビノの菅原達雄である。】
中略
世界で初めてマイクロホンを手持ちして(Hand Held Microphne)歌った歌手は『ホワイト・クリスマス』
で不朽の名を残したビング・クロスビー(Crosby Bilng 1904〜1977)だったという。
マイクロフォンを通して、耳元でささやきかけるように歌うスタイルは、オペラチックに朗々と歌う歌手が主流
の当時としては画期的なものだったろう。
この時以降、電気音響設備はポピュラー・ミュージックには欠かすことの出来ない設備となってゆくが、あく
まで声の拡声にとどまっていた。
日本で事情が大きく動いたのは、1970年に開催された大坂万国博覧会だった。
同時開催された「芸術の祭典」に、多くの大物アーティストが来日してコンサートを開いた。
これをきっかけとして、以後、外来アーティストの日本ツアーが急激に増えてくる。右肩上がりの高度経済
成長が、チケットの購買力を急速に高めた時代でもあった。
とりわけ、ロックグループのツアーでは大がかりな音響セットが用意され、全ての音楽楽器もヴオーカル同
様大音量で拡声する音楽のスタイルが一般化していった。
中略
日本で本格的なコンサートの拡声業務が始まった1970年前半当時、一番不足していたのはミキサー卓
だった。可般型のミキサー卓は、放送局用に開発された国産のものが2種類ほどあることはあったが、高
価でツアーの音響会社が気軽に購入できる価格ではなかったし、拡声用としては必ずしも使い勝手のいい
ものではなかった。
中略
したがって、外来のアーティストもミキサー卓だけは持参してきた。
中略。
当時の日本では、国産のヴォ−カルアンプに頼るか、ホールのシステムでコンサートをするより方法がな
かったが、ホールの音響設備ではミュージシャンの要求を満たすだけのレヴェルには達していなかった。
シュアー社の300システムは、当時としては驚異的な音量を提供する事ができたのだ。
1970年、前述の大坂万博の時代である。外来アーティストのためにシュアーのシステムをレンタルした
ところから、コンサートの音響業務がヒビノの営業品目に加わる。
やがて、アメリカのハイパワーのスピーカーシステムである「JBL」の代理店になり、外来のロックアーティ
ストの国内ツアーを担当するようになる。このとき以降、JBLはハイパワースピーカーの代名詞となり、ヒビ
ノの名前は日本のコンサート業界に定着する事になる。
スピーカーは、国際レヴェルのものが提供できるようになった。スピ−カーを駆動するパワーアンプもアメリ
カの大出力アンプの代理店になったことで解決したが、やはりミキサー卓が問題だった。放送局用のミキ
サー卓ではコスト的に引き合わないし、コンサートの現場では必ずしも使いやすいものではなかった。
ヒビノではシュアー社の300システムのミキサー部分を主として使っていたのだが、6入力のミキサー卓
を並列で使うのは何とも使い勝手が悪い。とはいえほかに方法もなく、筆者がツアークルーを担当した
マイケル・ジャクソンの初来日は、シュアー社の6入力ミキサー卓2台で行われた。
ヒビノで国内アーティストや外来のロックアーティストのツアーを担当しながら、国産初の入力16チャンネル
のミキサーを独力でつくり上げた。この卓の導入後、外来アーティストは卓も含めてヒビノの機材で国内ツア
ーをするようになる。菅原の手づくりのミキサー卓を原型に、のちにヒビノは3台の卓を作って販売した。
国内のコンサートを担当する音響会社がもつことができた、国産初のツアー用ミキサー卓である。
菅原は、1975年、ヒビノを離れて同世代のクルーを集めて自身の会社「FAST」を立ち上げる。
筆者も参加したこのチームは、規模は小さかったが筆者を除けば腕利き揃いで、国内アーティストや外来の
トップランクのアーティストのツアーを担当しながら業務用の音響機器の受注製作も請け負った。
菅原の開発した回路は多くの現場の支持を集め、そのレヴェル高さと使いやすさは今でも語り草になって
いる。残念ながらチームとしての活動は10年ほどで途絶えたが、FASTからは、現在国内トップアーティスト
のツアーのみを担当する売れっ子のミクサーや放送局の音声中継車の設計を担当する技術者、アメリカ西
海岸にあるコンサートツアーの大手音響会社の技術部長などの才能がそだっていった。
現在、菅原はコンサートの現場からは離れたが、彼が作るアンプは金に糸目をつけないすこぶるつき
のオーディオマニアの間で現在でも絶大な信頼を得ている。
(3月5日 株式会社新評論より 掲載了承済)
※著者とは面識は無いのですが、FAST発売元になって暫くした頃一度お電話を頂いたことがあります。
残念なことに当日私は不在で妻が電話を受けたのでした。
「つかぬ事をお伺いしますが、そちらで取り扱っているFASTは菅原さんのFASTですか?」
「はい。そうです。」
「そうですか〜。FASTと聞いて思わず電話をしたのですが、彼が作るアンプだったら絶対売れますよ。」
「何と言ったって、彼は間違いなく天才ですから。」
と励まされたと聞き、大変心強く思った事が思い出されます。
それに、私自身、東京のコンサートホールでは東京芸術劇場の音が一番好きである事も実に奇遇でした。
今回HP掲載の了解を得るために初めて電話でお話させて頂きましたが、著者はとても真摯な方と言う印象
でした。
03/03/31 【桜花爛漫】

随分と春めいてきたと思ったらいつの間にか近くの公園もまさに桜花爛漫の様相である。
四季を彩る花の中で桜ほど日本人の心を捕らえて離さないものもないだろう。
咲くべき時にパッと咲き、潔く散っていく様が日本人の心にしみるのだろうか。
桜は待つ間も心弾む。
つぼみも良い。
爛漫たる満開が実に素晴らしい。
はらはらと散る様も美しい。
葉桜の緑は目にまぶしい。
桜、桜、何と不思議な花、不思議な木なのだろう。
散る桜
残る桜も
散る桜。
出来れば今年の桜をゆっくり眺めて欲しかった人がいた。
島田研究所の故島田貴光先生である。
一昨年の真空管オーディオフェアーで、島田先生のイベント中用意してあった他社のアンプが急に
不調になり、急遽FASTのT1−Xを使って頂いたのがご縁で、初めてお話をさせて頂き、同じ九州
出身と言うことで随分かわいがって頂いた。
オーディオアクセサリー105号、106号を読まれた読者は島田先生の隣で一緒に写真に収まっ
ている私を見て不思議に思われた方がいるかも知れないが、あの時島田先生がFASTを試聴機
選ばれたのは、きっと真空管オーディオフェアーの時のお礼の気持だったのだろうと察している。
先生のさりげなさが本当に嬉しかった。
九州男児と言えば、先生の生き方もそうだったのではないだろうか。
多くの方が承知のように、先生はオーディオの草分け的な方であり、東芝オーレッスの総帥でも
あられた方である。
本来私なんぞ気軽にお話しできない遠い存在の方なのだが、決して偉ぶることのない方だった。
上にへつらわず、下を見下さず、質実剛毅たる、まさに九州男児であったと思う。
あれは何回目に先生の自宅を訪れたときだったろうか。
よほど体調が良かったのだろう。自他共に認める先生の弟子O氏と一緒に少しお酒をのんだ。
完全に体調が戻ったら今度はゆっくり呑もうと仰ったが、ついに叶うことはなかった。
日本中が俗世間の嫌なところだけが目立つ世相の中、本当に惜しい方が亡くなった。
浅深の
想いも行き交う
音街道 (字余り)
故島田貴光先生のご冥福を心からお祈り申し上げます。
03/01/03 【改めて見直した、ウエストミンスターロイヤルの魅力】

出水電器試聴室のタンノイ・ウエストミンスターロイヤル
昨年、知人から「試聴用SPを替えてみてはどうですか?」「B&W801など皆さん苦労しているし
FASTのアピールには最適だと思いますよ」と提案をいただいた。
私自身はウエストミンスターロイヤルに不満は無かったが、ビジネスと考えるとやはり気にはなる。
しかし当店には大型SPを2台置くスペースは無いしどうしたものかと思いあぐねていた。
一度気になり出すと何時までも引っかかってしまうのが人情というもの。
おまけに試聴時に「タンノイのウエストミンスターは聴いたことがありませんので、これがいい音
なのかどうか判断しようが有りません」と言われてしまうとなおさら悩んでしまうのである。
そうこうする内に、やはりお客様の事を考えれば替える以外ないと思うようになり、ついに手離す
決意をしたのだった。
これでサッと売れれば何でもなかったのだが、2.3の問い合わせが有ったきり全く動く(売れる)
気配もなかった。
おまけに、不思議なことにウエストミンスターロイヤルが今まで聴いたこともない程いい音で鳴り
だしたのだ。
今まで何回か手放そうと思ったことがあったがその時も同じ事があった。
人は気のせいと言うかも知れない。
そう言った部分を否定はしないが本当にいい音で鳴りだしたのである。
ウエストミンスターロイヤルに関しては、その能力を出し切ったと思っていた私にはとてもショック
な出来事であった。
私は腹を決めた。こうなったら再度ウエストミンスターロイヤルと格闘する以外ない。
そこで前々から気になっていた電源を再度徹底的に見直し、ウエストミンスターロイヤルの実力
を確かめようと思ったのである。
工事は今までの経験を総結集して思いつく限りの事をした。
詳しくは AVvillage 1月号(P76−77)をご覧下さい。
で、その結果。
第一印象としてとてつもなく余裕に満ちた音で、SPの存在が全く気にならないのである。
まさしく目前で演奏しているかのような感じなのだ。
かつて、ステレオサウンド誌で、有名な【ベイシー】のマスター、菅原氏が言うところの【ゴージャス
なジャズ】を堪能する日々である。
勿論タンノイの得意とする弦の艶やかさはそのまま失われていない。
タンノイを使用されている方、もっと言えばティアックの担当者にこそ聴いて欲しいと思っている。
この音を聴けばウエストミンスターロイヤルの音は古いなどという批判がいかに的はずれ
か解ると思う。
むしろ古いどころか、ほかでは決して得られない魅力溢れる音だと感じるはずである。
タンノイ好きの人にもタンノイ嫌いの人にも一度聴いて欲しいと願っている。
02/09/04 【TAOC FC3000】
02/11/11 (追加記入有り)

TAOC FC3000 と 縄田氏 [出水電器にて]
一瞬の出会いが、その後を大きく変えてしまう事が有る。
昨年11月、北九州、某オーディオショップのフェアーでの【TAOC FC3000】と縄田氏との出会い
もそうだった。
そのフェアーには日本で販売されている大方のメーカーが参加されていた。
そして同じ部屋でデモをしていた中で、ひときわ印象に残ったのが【TAOC FC3000】と【Westlake
Lc4.75F】だった。
なんといっても、その大きさからは信じられないようなスケールの大きい、しかも良い音だった。
これは一緒に展示してあったハイエンドスピーカーも霞んでしまう程のインパクトがあった。
また、縄田氏始め各メーカーの担当者にとっても初めて聴くFASTの音は相当ショックだったらしい。
各メーカーの担当者の中で控えめに振る舞って居られた縄田氏と話す機会があり、氏の人柄がとても
好印象で、「こういう人が売っているのだからこの製品は間違いないな〜。」と感じたのを覚えている。
そして、いつか「FC3000をFASTのアンプで鳴らして見たい。」とお互いに希望したのだった。
年が明け、俄にバイアンプ熱に犯された私はバイワイヤリングのSPをどうしても手に入れる必要に
せまられていた。
残念なことに、試聴用のウエストミンスターロイヤルとビクターのドルチェSX500はバイワイヤリング
に対応していなかったのだ。
真っ先に頭に浮かんだのが【TAOC FC3000】だったが、ドルチェもビックリするほど良く鳴っていて
なかなか踏ん切りがつかず、そうこうしているうちに A&V village 主催の【オーディオ2002】も迫り
いよいよスピーカーの手配をしなければならなくなった。
そこでTAOCの縄田氏へ試聴機貸し出しを申し込んだところ、快く貸し出をして頂いたのである。
【オーディオ 2002】ではFASTとレゾナンスチップカンパニーの試聴で大活躍をしてくれた。
現在、【FC3000】はFAST試聴用として、ウエストミンスターロイヤルさえ従えたような観がある。
先日、縄田氏が出水電器へ来られ、前々から希望されていた【TAOC FC3000とFASTのアンプ】
の試聴をして頂くことが出来た。
会話の中でFC3000の開発にあたってのエピソードも聴かせて頂いた。
FC3000の開発にあたっては一切の妥協を廃し、最高の音を目指されたとの事。
単純にコストと完成度で言えば、倍の価格で売ってもいい製品であると評価されているのも頷ける。
ご存じの通りTAOC FC3000に使用されているディナウディオ及びスキャンスピークのユニットは
余程の駆動力と制動力がない限り、いい音(繊細な)で鳴っても、いわゆる音離れの良い躍動感溢
れる鳴り方はしない。
それだけに鳴りきった時のその音たるや決して他のSPでは味わえない【音楽】を聴かせてくれる。
試聴では、エージングも完全とは言えないFC3000が素晴らしい鳴りを聴かせてくれて、お互いに
【TAOC FC3000とFASTのアンプ】の相性の良さを再確認することが出来たのだった。
出会いは不思議なものである。もし昨年の出会いがなければ今回の試聴もあり得なかった。
それはさておき、ひょっとしたら皆さんもFASTで鳴らすFC3000に出会うかも知れない。
11月11日追加

試聴会場 聴き入る試聴者
11月2日〜4日 ハートンホテルで開催されたセッション 2002 イン 大坂 の会場に於いて
TAOC FC7000&3000の試聴でFAST C10II,M300IIが使用され、大変好評を得ることが
出来ました。
TAOCの関係者の皆様と、試聴頂きました皆様に心より御礼申し上げます。
02/07/10 【AXIOM 80】

この独特のフォルムがマニアを魅了する 97dBとは思えない強力なマグネット部
「このスピーカーを持つ者はあまねく人生を過つ」とまで言われた往年の銘機であり、私にとっては
忘れることの出来ないスピーカーである。
このスピーカーにさえ出会わなければ、おそらくここまでオーディオに深入りすることもなかっただ
ろうし、ましてアンプの発売元になるなどと言う事は想像さえ出来なかった。
ともかく最初に見たときの強烈な印象は忘れることが出来ない。
独特のフォルムに魅せられ「これはいい音がする」と直感し惚れ込んだのだった。
その後のことは昨年10月16日のコラムをご覧頂きたい。
最近友人のG氏がその「AXIOM 80」を手に入れたそうである。(写真はG氏から送られたもの)
このSPの反応の速さと来たら現代SPもかなわないだろう。ともかく何をいじっても音が変わるし
底知れぬ可能性を感じさせ、それがまたマニアを虜にさせるのだ。
SPの魅力はともかくとして、G氏が私みたいな運命を辿らないことを願うのみである。
今回のことは彼のために喜ぶべきかはたまた同情すべきか大いに迷うところなのだ。
このSPにはいろんな想い出がある。
詳しいことは省くとして間違いなく銘機と呼ぶにふさわしいSPだと思う。
手に入れられるものなら今でも欲しいSPのひとつである。
02/05/22 【神様への電話】
不思議な夢を見た。
なんだかとても騒がしい所で電話をしていたのだが、その相手がふるっていた。
話の前後から考えると、どうも「天国にお住まいの神様」らしいのだ。
ここでの話題も、もっぱらオーディオのことだった。
神様も音楽とオーディオが好きらしい。
いろんな話から、不況で老舗のオーディオメーカーが潰れてしまった話しになった(らしい)。
「神様、不況でみんな大変苦労しています。オーディオ業界も大変です。」
「日本のひどさは私たち神様の世界でも話題になっています。」
「何とかならないんですか?」
「日本の場合、神様も諦めるしかありません。」
「エッ、どうしてですか?不況が原因で、この10年間
20万人以上が自殺していると言われているんですよ!」
「5人や10人さえも助けられない馬鹿な人達が威張ってて、
救いの手や助言さえ拒否しているんです!」
「そ、そんな〜。 ど、どうすればいいですか?」
「神様もほっとけないくらいしっかり・・☆¢£§☆・・そうすれば・・£◎¢§∴∞・・」
「神様、良く聞き取れません。もう一度言って下さい。」
「もしもし! もしもし〜!! 神様〜!神様〜!!!」
後はいくら呼びかけても神様から返事はなかった。
そこで目が覚めた。
夢のなかの事なのだが、神様が言いたかった事がとても気になる。
勉強?努力?いや違うなー。そう言えばカン〇?カンジ?とか何とか聞こえたような・・・良く解らない。
それにしても不思議な夢だった。
不況不況と言っても何も始まらない。
ともかく、悩んで工夫して、頑張ろうと思った。
日本だって、オーディオ業界だって、そんな捨てたもんじゃないはずだ。
それに、みんなの心のを癒し、勇気と希望と活力を与えるのが音楽、オーディオなんだから。
02/04/16 【CD 小説「精霊流し」の世界】
先頃、嬉しい出会いをした。
当HPをご覧の方はすでにご存じのとおり、3月8日当店でASC山本会長を迎えて、
ささやかな試聴会を開催したとき、意外な方が参加された。
その方は、【さだ企画】プロデューサー、八野行恭氏であった。
で、その時に頂いたCDが【小説「精霊流し」の世界】だった。
(八野さんは当コラムの[さだまさし著 精霊流し]を読んでおられたとか)
CDも2枚になったし、「隠れ さだまさしファン」を返上する事にした。
これからは普通(?)に「さだまさしファン」を名乗りたいと思う。
さて、件の【小説「精霊流し」の世界】、先に小説を読んでいるので音楽(歌詞)に合わ
せて情景が浮かんでくる。
薔薇ノ木ニ薔薇ノ花咲ク
川の崖で偶然弟が見つけ、母のために二人で持ち帰った薔薇。
この薔薇が母を、そして家族を本当に癒してくれた。
引っ越しの時、薔薇を持っていこうと言う弟に、次に住む人のために残しておこうと優しく
いう母。
時がたって、歌手として有名になってからその家を訊ねた時、薔薇が満開で迎える。
言葉に出来ない感動の場面である。
転宅
この曲を聴いたのは今度で2回目だった。
祖母が父に言ったのは「負けたままじゃないだろう」が正しかった。
小説の始めの方でその父と祖母の事が書いてある。
長崎へ引き上げてから祖母が帰って来るのを今日か今日かと迎えに行く父、ある日
ついに祖母が帰る。
後ろ姿でそれと知り、そっと肩に手を置くと、見ていたかのように父の名を呼ぶ祖母。
このシーンは思い出すだけで泣けてくる。
椎の木のママへ
さだまさしがバイオリンを習っていて、東京の先生のところへ通うときいつも泊まって
いた叔母の家。
その叔母が長崎でジャズ喫茶のママになった。
一番最初にさだまさしの才能を認め将来を確信し応援してくれた叔母。
同い年の叔母の息子と早すぎたその死。
歌詞の最後、「僕の叔母さん」には何とも言えない情感がある。
後は是非、本とCDを買って頂きたい。
なにはともあれ、さだまさしの歌には優しさが溢れている。(と私は思う)
こんな優しさと思いやりが日本中に溢れたらどんなに素晴らしいだろう。
人間主義で優しさに溢れた社会だったら、最近起きているような変な事件なんて
起きようがないと思うんだけどな〜。
優しさって いいな〜。
さだまさしの歌って いいな〜。
♪♪ ♪♪♪ ―― さだまさし ファン―― ♪♪♪♪♪
02/04/07 【フリーダム・ファイター】
2月の始め、帰宅したら「サッチモ」を紹介した番組(ゲスト 日野輝正)が放送されていた。
サッチモ=ルイ・アームストロングの生い立ちやジャズへの功績、スッキャトの誕生等々、
記録を交えての番組だった。
ゲスト、日野輝正のサッチモとジャズに対する思い入れと語りもさることながら、サッチモ
のお喋りがまた楽しかった。
例えば、まだ駆け出しの頃、犯罪の巣窟とも言われたスラム街に住んでいたことについて
「当時の生活環境はどうだったのですか」と問われ、
「ミュージシャンに取っては最高の環境だったよ」
とウィットに富んだ答えで周りを煙に巻き
「いつ引退するんですか」との質問には
「君はいつリタイアするんだい」と聞き返し
「あと何年で定年です」との答えに
「君は怠け者だな〜」と切り返した。
さすがに偉大な、そして愉快なエンタティナーである。
晩年、親しい友人に「俺は金持ちになったよ。いつでも食べられるんだ」と傍らの冷蔵庫を
開けて見せた。そこには数個の卵と僅かの食料が有ったそうである。
その友人は「君だったらいつでも好きなだけステーキでも何でも食べられるじゃないか」とは
言えなかった。
言葉には出来ないほど哀しい、或いは辛い人生がそれだけで金持ちと言わせたのだろうか。
激しい人種差別の時代に、卓越した音楽センスによって多くの人々から愛され支持された
サッチモ。ところが同じ黒人からは白人に媚びていると誤解もされ批判もされた。
しかし「サッチモ」こそ黒人の地位向上に大いに貢献した「フリーダム・ファイター」であった、
と番組は結んだ。
アーティストは偉大な存在だと思っているが「フリーダム・ファイター」の名称は素晴らしい。
この日本にもチャップリン、カザルス、サッチモみたいに「フリーダム・ファイター」と呼ばれる
感性豊かな、そして何より人間性豊かな芸術家が生まれ、気高き精神のメッセージを発して
欲しい。
【フリーダム・ファイター】何と力強い響きを持った言葉なのだろう。
戦争の英雄は星の数ほど知られているのに「自由の英雄」「人権の英雄」がそれほど知られて
いないのは不思議に思う。
02/03/10 【ASC会長山本紘市氏とFAST試聴会】
一昨日、出水電器において試聴会を開催いたしました。
いきさつ及び内容につきましては当HP掲示板を参照して下さい。
山本さんより当日の写真が送られてきましたのでここに掲示致します。
当日の素晴らしい音は想像して下さい。
みんな音楽に聴き入って、この手の試聴会にしては珍しいくらいほとんど話し声は
有りませんでした。
何と言っても帰りの飛行機をキャンセルして蒲田で1泊した人までいたんですから。
当日の参加メンバー、山本さん、inoryuさん、私は写っていません。

出水電器の試聴機

博多から送られてきた謎の(?)伊万里焼球形SP。スタイル大きさからは
想像できないくらいいい音です。何と言っても心地よい響きが最高。

上がFASTのプロ機 TYPEX。
中低域の力強さ、音の太さ、漲るエネルギー感にみんなビックリ!
下は昨年11月23日、デンの社長にクロック交換して貰ったラックスD10。
山本さん持参の最終秘密兵器は写真公開出来ないみたいです。
でもいい音だったな〜。
また今度みんなで試聴会を開催しましょう。
02/02/08 【近づくネット社会】
先月始め、ナスペックのM氏から頂いたメールにFASTの新製品【T1−S】を紹介しているHPの
事が書いてあったので早速アクセスしてみた。
カンタベリ〜のいぶし銀シアター日誌 【2001-12-30 発見!本物の国産アンプ】
そこには先頃自宅試聴された方の率直な感想が写真入りで紹介されていた。
嬉しいことに大変高い評価を頂き、感想が書かれていたのである。
そのHPは何人かの人が自分のコーナーを持っていて、毎日大変な数のヒットがあるHPだった。
それだけなら別に驚くこともないのだが、他のコーナーを見ていたら1枚の写真が目に止まった。
Kyuzo’s 男泣き METOROPOLIS Theater 日誌 【2001-12-31 良いお年を!】
写真の説明には【憧れの名JAZZドラマー、渡嘉敷佑一さんと一緒に】と書いてある。
ドラマー【渡嘉敷佑一さん】に付いては改めて書くまでもない。
今をときめくJazzシンガー、【ケイコ・リー】のバックでもドラムを叩いているあの渡嘉敷さんだ。
名ドラマーとして大変有名な人である。
実は、その渡嘉敷さんとはご近所で、なおかつ知り合いでもある。
数日後、渡嘉敷さんと会ったのでHPの事を話したら本人も大変驚いていた。
偶然とはいえ、同じHPでご近所の知り合いの人とほぼ同時に掲載されたことに、ネット社会が
ものすごい勢いで発達しているのを実感した次第である。
嬉しいことに、最近ネットで巡り会った人達と感動と興奮の楽しい時間を過ごすことが出来た。
先月14日、大阪のJazzが聴ける(珍しい)理容室でFASTの試聴会が開催されたのである。
いかに面白かったかは下記HPを見て頂きたい。このHP、面白さ天下一品!
【Jimmy Jazz】(Masterの私生活→Sundo Blasterへの道、1.15〜25)
その感動と興奮のるつぼ状態は正に【アマデウスの大論争顛末記】以来の出来事だった。
これから益々ネットは発達し、私たちの生活に欠かせなくなるのは間違いない。
ネットがもっともっと素晴らしい出会いを演出してくれる事を念願している。
02/01/06 【1月6日 産経新聞記事から】
【日本に元気(4) 世界市場へ 常識覆した「半値住宅」】
またまた同じ話題で恐縮です。
ミサワホームが半値住宅(坪単価25万円)販売に乗り出し、成功を収めているという記事。
「これまでの住宅会社は客の注文を引きだして設備に金をかけさせ、利益を積み上げていくのが営業
戦略で、高い住宅を売って『家は資産。高い家こそ価値がある』と言う幻想を作り上げてきた」とあり、
そうした業界の「常識」を、客の購買能力からかけ離れた「非常識」であり、牛丼もハンバーガーも、
これだけ値下げをしている。品質を落とさなければ、住宅が値下げをしてはいけない理由なんて無い。
と結論している。
拍手を送りたいような記事である。
ひたすら高額(高級ではない)品をまき散らしたあのバブルの結末を見るまでもない。
踊り狂った代表的な業界の銀行、不動産業がどうなったか、見る影もないではないか。
勿論バブルに踊らなかった銀行や不動産会社もあり、非常に健全な会社として立派に残っている。
目の飛び出るような高額オーディオ製品がバブル崩壊の二の舞にならないことを祈るのみである。
あるオーディオ雑誌を見ていたら、20年近くオーディオから遠ざかっていた人が久しぶりに専門誌を
見たら「そこには浦島太郎のような世界が待っていました。コレははっきり言ってショックでした・・・・・
たかが音楽を聴くだけで、不動産のような値段がズラリ! 誰だオーディオをこんなにしたのは?」と
あり、その人は20年以上前から持っている製品の、メンテナンスと改良に明け暮れているとの事。
道理にかなう理屈があるはずもない。
これだけの利益がないと維持できないというのは売る側の理屈であり、価格に見合うか見合わない
かは、お客様が判断するのが道理であろう。
時代は確実に変化している。
もう「本物しか生き残れない時代」に確実に入っていると思えてならない。
エンドユーザーが満足を得られないものは必ず淘汰されるのが世の摂理ではないだろうか。
「商売はあくまでもお客様の方を向いていなければならない」と、自らを常に戒めている。
02/01/05 【1月4日 産経新聞記事から】
【日本に元気(2) 脱・常識 リサイクル着物で活力】の記事に強く惹かれた。
要約すると次のようになる。
着物業界はブームが去った後利益を上げるためにひたすら高級化を進め、着物は高いと言うイメージ
を増幅させた。
アンケートで着物を着てみたいと言う人の20人に1人しか実際には購入していないという。
そこで【ブックオフ】(古本を再生して販売しているチエーン店)にヒントを得た【タンス屋】と言うリサイ
クル着物ショップの起業が成功した秘密について書いてある。
体質の古い業界ではなんの裏付けもないことが常識としてまかり通り、新規参入が規制されたり、
流通経路が不透明だったりして市場原理が働かず、それが客離れを生んだ。
本当のビジネス(チャンス)は市場原理、つまり良い品をより安く提供するという客本位の商売に徹
するのが一つの法則であると言うのである。
現在は新品の1〜2割という価格が受けて大繁盛し、アメリカ進出まで果たしたという。
発想の転換と挑戦。言い古された格言のようだが、それが新しいチャンスを切り開く。と結論している。
まさにオーディオ業界にピッタリの話ではないだろうか?
めったやたらと高額な製品ばかりが話題になって、オーディオは一部の金持ちの世界というイメージ
を作ってしまっていないだろうか?
本当に価格に見合う製品を提供しているのだろうか、実に疑わしい。
多くのまじめなオーディオ・ファンは呆れ返り、オーディオに見切りを付けた人も多いと思う。
オーディオ・ファンが一番望んでいるのは技術者の良心に立ち返り、本当にいい音を手の届く価格で
多くのマニアに提供する事ではないだろうか? そうしなければオーディオ業界そのものが存続出来
なくなってしまうのではないだろうか。
そんな気がしてならない。
01/12/19 【さだまさし著 精霊流し】
久々に一気に読める本と巡り会った。
さだまさし、名前を聞くだけで何となくほのぼのとする。
フォークソング華やかなりし頃、彗星のごとく現れ、そのユニークさと、えもいわれぬウィイットと、
独特の暖かい雰囲気で、アッという間に日本のフォークソング界を席巻してしまった。
最初に聞いたのはラジオから流れてきた「雨宿り」だった。
今まで聞いたこともない、不思議な、そして暖かさに溢れ、思わず笑える歌だった。
その後「関白宣言」「防人の詩」と立て続けに大ヒットした頃が懐かしい。
次に印象に残っているのが「転宅」と言う曲で、父が事業に破れ、狭い貸家に引っ越したとき、
祖母が父に一言「お前、このまま終わるつもりじゃないよね」、と言い、何年か後、事業を盛り返
して大きな家に越した時、一番喜ぶはずだった祖母はもういなかった。そんな歌だった。
ああ、この人は素晴らしい家族愛にはぐくまれ育った人なんだな〜、心の優しい人なんだな〜、
だからこんなほのぼのとした歌が歌えるんだな〜、と感じたのを覚えている。
以来、私は隠れ「さだまさしファン」である。
何故隠れファンかというと、コンサートも一度も行ったことがない。
CDも10年くらい前に買った1枚しか持っていない。
チケットを買っても忙しさにかまけて行かない。
今回もそうだった。
前に妻から、「さだまさしのコンサート行く?」と言われ、「ん、行こう!」と言ったのだが、当日も
とうとう行けなかった。
仕方なく知り合いと一緒にコンサートへ行った妻が買ってきたのが件の【精霊流し】だった。
翌日定休日だったのでいつもよりゆっくり起きて、ふとテーブルの上を見ると面白そうな本が
置いてある。
何気なくパラパラとめっくたのがいけなかった。(いや、本当のところは良かった)
もう後は一気呵成に読み進み、夜中に読み終わった。
さだまさしに一言いたい。
こんな素晴らしい本を出してはいけません。
ここに一人、せっかくの定休日をフイにしてしまった被害者が出ました・・・・・・・と言いつつ、
まだ感動の涙が止まらない。いや、本当に参った。
家族愛と言う意味では、9年前発売されたユン・チアンの「ワイルド・スワン」以来の感動を
受けた。
文化大革命の中で翻弄される家族とその愛情が全編を貫いている。
特に泣けるのが第24章P266(下巻)を中心とした母との別れである。
ドライに「親に世話になったことはない!」とか「私たちの生活設計の邪魔はしないで!」
などと言い放つ人には決して理解できない情愛の世界なのかも知れない。
ともあれこの「精霊流し」は素晴らしい本である。
読書好きの方にお薦めしたい。
01/11/27 【ミューズの女神たちへ捧げる T1−S】
FAST発売元として5周年を迎えるにあたり、新製品[T1−S](トランジスター・プリメイン)を
発売する事になりました。
かねてより、「FASTを欲しいけど価格が・・・」と言う意見をたくさん頂いていまして、目標を
オール・トランジスターでライン入力3系統、出力80W/8(Ω)、価格300,000円
と定め、製品の開発に取り組み、この度[T1−S]を完成させる事が出来ました。
T1−Sの発売に付きましては
何故そこまで安くする必要があるのか。
FASTも落ちたものだと思われ、イメージダウンになる。
等々、心配して忠告してくれる友人も多くいました。
しかし 「最高の音を手の届く価格で多くのオーディオ・ファンにお届けしたい」をモットーとしている
(株)FASTと発売元出水電器としては、T1−S発売をなんとしても実現しようと決意致しました。
手作り製品としてはこの価格帯が限度と思われますが、FASTとしての品質と音質は落とす訳
にいきません。
もし、納得のいくアンプが出来なかったら製品化は諦める、と決めた製作者の並々ならぬ努力と
工夫で何とかこの課題をクリアーする事が出来ました。
FASTは20数年に渡りコンサート等のミキシング・オペレターとして音響に携わる中でアンプや
ミキサー、スタジオ用機器、放送用機器等の開発及び製作をして参りました。
FASTのアンプは生の声、生の楽器の音を知り尽くし磨き上げた音であると自負しております。
また、最終的な音決めもプロのミュージシャン、エンジニア、希に見る聴覚の持ち主が一緒に
詰めに詰めて決めています。
つまり、どこのメーカーより生の声、生の楽器の音を基準としたアンプと言えます。
これは価格に関係なくFASTのアンプの特質です。
T1−Sはプリメインのイメージを一新するに十分な実力を備えた製品として、自信を持って
皆様にお薦め致します。
ギリシャ神話の芸術を司る9人の「ミューズの女神たち」が語源のミュージック。
最高の音で最高の音楽を楽しみたいものです。
その為にも オーディオ機器は、もっと音楽という芸術の再生を目指すべきではないでしょうか。
FASTは9人の[ミューズの女神たち]へT1−Sを捧げます。
01/11/09 【広島のミンガス】

11月5日、憧れのミンガスへ。
広島の友人でスーパー・マニアの神戸氏には、ミンガスの演奏を聴く為だけでも広島までくる
価値があると言われ続けていたのだった。
サウンド・デンの藤本社長に連れられて、ミンガスのドアーを開けてまず驚いた。
なんと「土と水 IN 萩」のベース奏者、井上先生のお店だったのだ。
いろんな話をする内に第一回目の演奏の時間(午後8時半)がきた。
サックスは前田洋子さんという若い女性奏者。
(上の写真は当日のではありません.。雰囲気を壊さないよう写真は撮りませんでした。)
軽く音出しをして呼吸を合わし、目と目でタイミングをとる。
緊張の一瞬。
ヴオーン!
もう後は夢中で聴いた。
一曲目、二曲目、三曲目、ラスト。
アッという間だった。
素晴らしかった。
感動した。
井上先生はまるでベースに語りかけるように、時に抱きしめるように、頬ずりするように
演奏されていた。
そして、その表情が何とも言えず味があり素晴らしかった。
とくに満面の笑みがまた惚れ惚れするほどいい。
演奏の後、色々お話を伺った。
どれ程音楽(ジャズ)が好きか、ベースが好きか。
例えば、風邪で40度の熱があってもベースが心配で、ガタガタ震えながら店まで来て
除湿器の水を捨て、ベースの状態を確認する事とか。
ベルトのバックルは必ず横にずらして、ベースが傷付かないようにするとか。
マイクを使わず演奏するのはプロでもなかなか難しいと言う事など。
やはりプロは全てが違う。
それと井上先生は子供が大好きで、毎年県内の小学校を回って演奏されているそうである。
その時は必ず何人かの子供にベースを触らせるそうだ。
音が出たときの子供の喜びようは、何物にも代え難いと言われる。
そして、子供から貰ったメダルと言うか花輪と言うかそれを大事に大事にまるで宝物のように
丁寧に扱って居られた。
表には「ありがとう」と書いてあり裏には「おじさんたのしいジャズをありがとう。とてもいい音
だったよ」と書いてあった。
こんなお人柄の井上先生だから、あんなに素晴らしいジャズになるんだろう。
このジャズ(音)を聴いた人は間違いなくオーディオに対する考えも変わるに違いない。
今回は何物にも代え難い貴重な体験をさせて頂いた。
お世話になった皆さんに感謝の気持ちで一杯です。
ジャズに酔う
あき(秋・安芸)の夜更けに
心舞う
【ミンガス】はその演奏を聴くためだけでも、広島まで行く価値が間違いなく有ります。
(TEL 082−244−6060 日曜日定休日)
01/11/09 【シーメンス/グランフィルム・バイオノール】

11月4日、サウンド・デンにお伺いし、噂のバイオノールーとご対面した。
まず、その大きさに圧倒される。縦2M、横2.5M化け物みたいな大きさである。
大型ピーカーを見慣れた私でもビックリしてしまう。
人間の飽くなき情熱というものはこんな物まで作ってしまうのかと感心しきり。
さっそくFAST、C10UとM300Uをつないでみる。
CDはASC音源確認用の「土と水 IN 萩」、何と表現したらいいのだろう、
ともかく色づけのない「素」その物である。
それと大きさは伊達ではない。まさに実寸大の音楽が再生される。
非常に良くできたビンテージ・スピーカーに出会うといつも思うことがある。
工業製品化された現代スピーカーは音楽の大事なエッセンスを失ってしまった
のではないかと感じてしまう。
ビンテージ・スピーカーが上手くなると作り手の音楽に対する情熱、思い入れまで
表現されるように思う。
暖かな、何とも言えない音楽が再生されるのである。
このシーメンス/グランフィルム・バイオノールを探しだし、完全に復元された、
サウンド・デン、藤本社長のオーディオに対する情熱と思い入れに最敬礼!
このスピーカーについて詳しく知りたい人は下記HP【藤本の辛口コラム】をご覧下さい。
オーディオを論ずるなら、まず音楽ありきだと言いたい。
マイクを通さない生の音、音楽(マイクを通しても)は、巷間言われるようなピンポイント
とかステレオ・フォニックとか言う鳴り方とは随分違う。
例えばオン・マイクの場合、本来音像は膨らむはずである。
それを小さくすると言うことは、すでに音を加工している事だと思う。
むしろピンポイントで録音した音楽がどう再生されるかの方が遙かに大事ではないだろうか。
音響技術は音楽という芸術に奉仕する物であって、芸術(音楽)を加工して自慢する
なんて本末転倒も甚だしいのではないだろうか?
いろんな解釈を否定はしないが、音楽と言う芸術を原点とすべきだと思う。
ミュ−ジシャンやミキシング・オペレーター、4万ヘルツまで聞き分ける人達で音決め
をしているFASTとしては尚のこと、それを主張したい。
01/10/31 【華麗なるジプシーの旋律】
チャルタージュ、黄金のイヤリング、カルメン、ジプシーカーニバル、・・・スラブ行進曲
マントバーニー楽団の【華麗なるジプシーの旋律】の中の曲名である。
中でも私は【ジプシーカーニバル】が大好きだ。
今から30年ほど前、職場の先輩のアパートへ行ったら、部屋の外まで聞こえていたのがこの
曲だった。
せつなく、激しく、そしてやるせない悲しさや嬉しさの入れ混じった凄く速いテンポの曲である。
その日は件のレコードを聴かせて貰ってほとんど話などしなかった。
帰りにはそのレコードを借りて帰った。
それ以後テープにとったその曲を何百回聴いたのだろう。
このレコードとの出会いも私をオーディオへ引きずり込む原因の一つだったと思う。
思えば随分と月日はたったが、その時に読んだ解説書の内容は今でも鮮明に覚えている。
かつて、イエスキリストが食の布施を求めた時、それに応じなかった者がその報いとして、
流浪の民ジプシーになったと言われているらしい。
そのこともあって、世情が不安定になると政治的に利用され、ジプシーのせいにされて迫害を
受けてきた。
かろうじて受け入れられても、男には大道芸以外に仕事らしい仕事は無く、女は占いや洗濯
女みたいな仕事しか無かったらしい。
それでも生きていくためにいろんな事をして、細々と生計をたてて行くしかなかった。
そんな中で、有り余る能力を持った人や、少しでも目先の利いた人にとって、ジプシーで有る
が為の差別や世間の壁は死ぬほど辛かっただろう。
やり場のない怒りや悲しみに絶望し、自暴自棄になった時も有ったに違いない。
そんな中で生まれたのが、あの激しく、せつなく、哀愁漂うジプシーの旋律だった。
これらの曲からは、いわれ無き差別や偏見に対するやるせなさ、怒り、悲しみ、そして「どう
生きればいいのだ!」「どうすればいいのだ!」という叫びにも似た感情が伝わってくる。
そう思えばジプシーの音楽に見られる激しさや、陰影、思いっ切り感情に訴えてくる抑揚の
激しさも何となく理解できる。
バロック全盛期の頃、多くの音楽家が憧れ、どうにもまねが出来なかったのが、ジプシーの
旋律であり演奏技法だったそうである。
やがてジプシーの旋律は北ヨーロッパのクラシック音楽や、イタリアのカンツォーネや、スペ
インのフラメンコに大きな影響を与えた。
音楽でも小説でも心からの叫びを昇華した物ほど素晴らしい芸術として開花し、人々の心
に訴えるのだと思う。
01/10/24 【メリージェーン】と元ジャズメン
懇意にしている寿司屋さんに変わった人が働くようになった。
どういう風に変わっているのかというと、決して男前と言うのではないのだが、何とも言えない
親近感、暖かさを感じさせる、そんな不思議な人だった。
それに仕事であれ何であれ、すごく積極的にチャレンジする明るい人でもあった。
時々飲み屋で会ったりして口も聞くようになった。
どうも以前はかなり良いジャズのドラマーだったらしい。
確かにその方面のことも詳しく、いろんな話も教えてくれた。
何があったのか知らないが、音楽界の汚さがイヤになり足を洗ったのだという。
それでも年に1.2度昔の仲間と集まってドラムを叩くこともあると言っていた。
そんなある日、その人がかなり酔っぱらってカラオケを歌った。
足下もおぼつかなく、右手をだらりと伸ばし,不思議な、しかし何とも様になったポーズだった。
そして少し音程をはずした歌い方で歌ったのが【メリージェーン】だった。
しかし数小節も歌わない内に鳥肌が立ってきたのである。
上手い、けた外れに上手いのだ。
哀感を帯び、時に切なく、時に情熱的に、切々とした不思議な歌だった。
音程もはずしたのでなく少し崩して自分のスタイルで歌っていたのだった。
歌い終わったときは全員の拍手が暫く鳴りやまなかった。
それ以後、その人のことをみんなが【メリージェーン】と呼ぶようになった。
私も同席したときはいつも【メリージェーン】をリクエストした。
あの歌(歌い方)はあの人しかできなかった。誰が歌っても魅力が薄れてつまらなく聞こえてしまう。
プロのミュージシャンとして培った音楽の素養だけでなく、今までの生き方もあって、きっとあんなに
ひと味もふた味もある歌い方が出来るのだろう。
その彼も、1年もしたら風のように去っていった。
今は信越地方にいるらしい。
彼の地で、もし【メリージェーン】をとてつもなく上手く歌う人がいたら彼かも知れない。
ビーリ・ホリデイやティナ・ターナの歌も、それぞれに悲惨な人生を乗り越えてきたから歌える歌
なのだろう。
だからこそあんなに人の心を捕らえることが出来るのだと思う。
逆境は強い意志を持つ人を、宝石のように磨き、光らせる。
そして、音楽は歌う(演奏する)人にも聞く人にも、勇気と希望を与えるのである。
01/10/21 アキショム80とウエストミンスター・ロイヤル B
91年9月の初めだった。
ティアックへ電話をして、ウエストミンスター・ロイヤルとカンタベリー15はどこへ行けば試聴出来る
のか問い合わせたら、ダイナミック・オーディオ丸の内店を紹介された。
たまたま休みで遊びに来ていた友人と一緒に試聴に出かけたのだが、本命はカンタベリーだった。
アルテック・A5を下取りにだせばカンタベリー15なら何とか買えるだろうと考えていたのと、何と言
ってもウエストミンスター・ロイヤルは値段が高いし大きすぎた。
ところが運命の悪戯なのだろうか?、ダイナミック・オーディオ丸の内店へ行ったらカンタベリー15
は無かった。つい先日売れてしまったらしい。
しかたなくウエストミンスター・ロイヤルだけの試聴となった。
ふーん、これがタンノイのフラッグシップモデルか、と思いながら聴いていたその耳元に店員の
セールストークが悪魔のように囁いた。
「展示品ですから特別お安く致します」
「ちょうど決算期ですからお買い得ですよ」
「消費税もサービスいたします」
「12月下旬のお支払いです。金利、手数料もサービス致します」
「下取りも目一杯高くお引き取り致します」
「£*@∠∽☆★・・§○●∀∂◎◇△→↑←↓〓・・・・・⊆∪∪∀∬・・?・・」
店員のセールストークは延々と続いたのだが、頭が混乱して何を言っているのか解らない。
何しろ、今買わないと損をすると言うことらしい。
気の弱い私はとうとう「それなら・・・買いましょうか」と言ってしまったのである。
その後、友人の運転する車で帰ったのだが、途中の記憶はあまりない。
頭の中は支払いと、とんでもない買い物をしてしまったのではないか、と言う思いが交錯していた。
さて、ここからがウエストミンスター・ロイヤル獲得大作戦である。
大作戦とは名ばかり、本当は日がなカタログと睨めっこして、ひたすら妻の許可が出るのを待つ
だけなのだ。要は根比べ。(そう言えば、どこぞの掲示板にも同じような事が書いてあったっけ)
待つこと約2週間、ついに理解有る妻からOKが出た。
この時ばかりは本当にどこの奥さんより我が女房殿が素晴らしく思えた。(イヤ、ホント、ホント)
しかしその喜びもつかの間だった。
待ちこがれたウエストミンスター・ロイヤルを初めて聴いたときのショックはそれはそれは並大抵
では無かった。
どうしたことか、まともに鳴らないのだ。上はともかく下がサッパリ出ない。
「買うんじゃなかった。雑誌の評論とブランド名に騙された」と思った。
高い授業料だが仕方ない、すぐ売ろうと諦めた。
ところが、さすがは世界の名機と言われるだけのことはある。日に日に音が良くなって行くでは
ないか。
このタンノイ・ウエストミンスター・ロイヤルとは、以後さんざん格闘し現在に至っている。
FASTのアンプで鳴らすようになって、今までのイメージとは違うタンノイの音、表情を発見した。
一関《ベイシー》のマスター、菅原氏が言うところの、タンノイ・ウエストミンスター・ロイヤルが奏
でるゴージャスなジャズを日々堪能している。
勿論クラシック、特に弦の音はタンノイならではの音を聴かせてくれるのは言うまでもない。
10数年前、アキショム80に出会って以来、スピーカー10機種、プリアンプ8機種、パワーアンプ
9機種、アナログプレーヤー4機種、CDプレーヤー7機種、ケーブルも悠に100万は使った。
世界最高の音が聴きたいと願った、私のこのオーディオ遍歴は、街の小さな電気屋が事も有
ろうにアンプの発売元になると言う、大冒険の為の貴重な経験だったのかも知れない。
最近素直にそう思えるようになった。
でなければ理解できないほど愚然に愚然が重なり合ってFASTの発売元になったのである。
(詳しくは、「音の達人達」bO05&bO013を参照されたし)
私の【オーディオ・ロマン街道】には、この次どんな【風】が吹いてくるのだろう。
何はともあれ、オーディオ・マニアと称する人で奥様を始め家族の寛大な思いやりに包まれて
いない人は無いはずです。
同病相哀れむオーディオ・マニアの皆さん、お互いの幸福のためにも奥様始め家族に最大の
感謝をしましょう。そしてそれを行動に表しましょう!!!
アキショム80とウエストミンスター・ロイヤル (完)
01/10/19 アキショム80とウエストミンスター・ロイヤル A
禍福は糾える縄のごとし。
言わぬが花よ人生は。
会うは別れの始めなり。
さよならだけが人生だ。
確かにさよならだけが人生かも知れない。
アキショム80が我が家にあった間(約2年)にはいろんな出来事があった。
そして、ぞっこん惚れ込んだアキショム80も、結局本来の持ち主のところへ帰っていった。
色んな意味で、あんなに寂しい思いをしたことはない。
代わりに来たのがアルテック・A5だった。
ボイス・オブ・ザ・シアターで有名な劇場用のスピーカーである。
かなりの大型スピーカーであることに加え、ネット・ワークが古いタイプで4段階の切り替えしかない。
当然上手く鳴らない。
私とA5との悪戦苦闘が始まった。
最初の問題は低域のふらつきだった。これはすぐに解決。ウーハーの位相反転が原因。
次が中域の艶と張り出し。これもケーブルで何とかなった。
どうにもならなかったのが弦の音。どだい無理な話かも知れないのだがマニアとしては諦められない。
そこで私は,音作りはプリアンプだからプリを何とかすればいい、と思い自作することにしたのだが、
それがどんなに大変な事か、程なく身にしみて思い知らされた。
確かに、図面から部品をリストアップし、シャーシーを加工して組み立て音を出す。
ここまでは少し電気の知識が有れば誰でも出来る。
ここから先の、アースの引き回しや調整が大変なのである。
ここから先は本気でやると、本業そっちのけになるからなおのこと始末が悪い。
しかし、自作のアンプの楽しさはまた別格である。
音が出るだけで嬉しいし、少しでもいい音になれば尚嬉しい、多少の事は目をつぶることも出来る。
そんなこんなで都合4台のプリを作った。
街の小さな電気屋の店頭にアルテック・A5が置いて有ればマニアには否が応でも目に付く。
いろんなオーディオマニアが出入りするようになり、ある時、ラックッスのMB300を買わないか、
と言う話が来た。
1985年(だったと思う)ラックスが真空管から撤退するにあたり、今まで蓄えた真空管技術を
総結集した、ラックス技術陣の記念碑的作品で、名機中の名機である。
それを言われるままに、ついつい買ってしまった。
しかしこのアンプはしばらく友人の家に隠して置かざるを得なかった。
その頃、私のあまりの浪費に我が「山の神」は相当お冠だったのである。
それでもウェスタン300Bの名機が来たとなるとそれだけで終わるわけがない。
ラックスMB300に合うプリアンプ、これはもう同じラックスC−36Uしかない。
ところがこれがなかなか無くて、1年近くたって、神戸のオーディオ・ショップで売りに出たので
すぐに予約し、神戸へ引き取りに行った。
ラックス C−36U,MB300となれば、今度はアルテック・A5との相性が問題になってくる。
いよいよタンノイ・ウエストミンスター・ロイヤルが標的となったが、問題は我がパートナーをどう
懐柔するかにかかっていた。
そしてこのスピーカーを手に入れたことが後々FASTの発売元になる大きなきっかけとなった。
災い転じて福となり,福転じて災いとなる。まさに禍福は糾える縄のごとしである。
ウエストミンスター・ロイヤル獲得大作戦は次回。
(つづく)
01/10/16 アキショム80とウエストミンスター・ロイヤル @
私が本気になってオーディオと取り組むようになったのが、名機アキショム80との出会いだった。
ある日、友人に誘われて伺ったオーディオ・マニアのお宅で見たのが事の始まりで、あの独特の
スタイルに完全に一目惚れしてしまい、これはいい音がすると直感した。
「このスピーカーを持つ者は,あまねく人生を過つ」とも言われたスピーカーとの運命の出会い
だった。
それから半年、売ることは出来ないが、とりあえず期限無しと言うことでアキショム80を借りること
になった。
思えば、ここから私の【オーディオ・ロマン街道】は始まったのである。
このスピーカーの反応の早さときたら、当時(多分今でも)他に並ぶ物はなっかた。
何と言ってもかなりの高能率を誇るスピーカーである。
ともかく、何をいじっても見事に反応するから、もっといい音を、もっといい音を、と掻き立てるものが
あり、それが為にどれ程のマニアが泣き、人生を狂わせたのだろうか。
かくいう私も間違いなくその一人である。
その頃のテスト・レコードが富樫雅彦のフェイス・オブ・パーカッション一曲目サムシング・カミングで
、情報量、音の切れは比類無い物だった。特にこの曲は他のどのシステムで聴いてもダメだった。
その後の富樫の音楽はマニアックな方向へ傾斜して、今はもう理解の範疇外になってしまった。
私のオーディオ歴で言うと、パーカッション=富樫であっただけにとても残念でならない。
もう一つ忘れていけないのが、このスピーカーは真空管、特にウェスタン300Bと相性がいいと言わ
れていて、トランジスター・アンプで上手く鳴ったのを聴いたことが無かった。
真空管で鳴らす弦のすばらしさと言ったらそれはもう・・・・・・ 言葉にならない。
ある日、秋葉原はジュピターオーディオへ行ったとき、アキシショム80より遙かに良いスピーカーが
あると店員がノタモウタのである。
アキショム80など比較にならないと、その店員が言うのがタンノイのウエストミンスター・ロイヤルで
あった。対応してくれた店員の名前をいまだに覚えている、それくらいショックだった。
根っからのアキショムファンとしてこれは聞き捨てならない。
オーディオファンの端くれとしてタンノイ・ウエストミンスター・ロイヤルは何度か見たことはあったが、
残念な事にそれまで聴いたことがなかった。
当時、クラシックをかけたら世界一と言われていたスピーカーである。
値段もそれに十分ふさわしい値段で、とてもとても私のような一般人の買える代物ではなく、遠い
世界の存在にしか思っていなかった。
まさかそれを自分が手に入れようとは、その時想像さえもしなかった。
(つづく)
01/10/13 「ツァラツトゥストラはかく語りき」の想い出
30年くらい前になるだろうか。何気なく聴いていたラジオの番組で、有名な漫画家が若いとき、
雑誌社に何度も何度も作品を持って行ったが、どうしても採用されないどころか全く評価さえされ
なかった。
そんなある日、喫茶店で「何故みんなは自分の作品が解らないんだろう」と一人嘆いていたとき
流れてきたのが「ツァラツトゥストラはかく語りき」だった。
言わずと知れた、ニーチェの「ツァラトゥストラはかく語りき」を題材としたシュトラウスの交響曲で
ある。
ニーチェは当時のヨーロッパ文明の退廃を有名な「神は死んだ」と言う言葉で批判し、神に変わる
べき「超人」と言う概念をたてた。
ちなみに「ツァラトゥストラ」とはゾロアスター教の開祖の名前である。
この時初めて「憧れを持つ者だけが知る悲しみ」と言う言葉を聴いた。
きっと若き漫画家も自分の世界(漫画)の価値を自負していたのだろう。そしてそれを読者と共有
したかったのだろう。。
しかし現実は決して甘くはなかった。理想(自負)と現実の狭間でその漫画家の心は傷つき疲れ
果てていた。
ニーチェの言う超人思想と、有るべき(評価されるべき)自分の姿が二重写しになったに違いない。
この時の、人が評価しようがすまいが、自分は自分だ。自分の道を征く。必ず勝って見せる。
その決意が原点となり、月日がたって現在は有名な漫画家となり高い評価を得るようになった。
確かそんな内容の番組だった。
何と言っても30年くらい前の記憶だから、曖昧なところもある。
何気なく聴いたこの時のラジオ番組で「憧れを持つ者だけが知る悲しみ」と言う言葉と、
音楽がどれほど人を慰め励ますかと言うことを知った。
絶望の淵に佇む貴方。
じっと目を凝らして見てごらん。
そっと見守る「希望の天使」が見えるはずだよ。
それは家族の愛かも知れない。
心から支えてくれる友人かも知れない。
或いは未来の貴方自身の姿かも知れない。
希望を持とう。
勇気を出そう。
悪戦苦闘の嵐の海を渡るんだ。
貴方なら出来る。
貴方なら必ず勝てる。
いや、絶対に勝たなければならない。
貴方自信の為に。
貴方を見守っている人の為に。
いつの日か貴方も「希望の天使」になる為に。
01/10/07 巨匠の涙
曲のイントロを聴いただけで涙が溢れ出る、そんな思い出の曲の話。
もう随分前、新聞のコラムに書かれていた話。
名人と言われる落語家が音楽番組にゲストとして招かれ、そこである曲がかけられたとき、
その名人は瞬時に顔をゆがめ、人目もはばからず嗚咽し、滂沱と涙を流したのだった。
落語家がまだ新米で食うや食わずの頃、浅草の劇場で働いていた時の事。
いくら努力しても努力しても、一向に日の目を見ない自分自身が情けなくて絶望の淵にいたとき、
何度と無く聞こえてきた音楽があり、その曲に本当に慰められ勇気づけられたという。
たまに耳にすることがあっても曲名も解らず、ずーと巨匠の心に残っていた。
番組は進み、昔の苦労話になった時静かにその曲が流れ、冒頭のシーンとなった。
その時の司会進行及び企画が有名なオペラ歌手、岡村嵩生氏、落語家が圓歌(歌奴)師匠、
曲名が[G線上のアリア]だった(と記臆している)。
私の身近での話。
民謡が好きで三味線や尺八も人に教えるほどだったご主人を数年前に亡くされた方が、1枚の
CDを持って来られ、この曲を聴かせて下さいと言われた。
芸能山城組の[合唱 刈干切唄]だった。
亡くなったご主人が一番好きな民謡の曲だったとか。
この曲を聴くと涙が出ます、と言ってそっと目頭を押さえられた。
チィゴイネルワイゼンを聴くと涙が止まらないと言う人もいる。
その人は[チィゴイネルワイゼン]にどんな想い出が詰まっているのだろうか?
いろんな人に、いろんな想い出の曲がある。
音楽にはどんな優しい言葉より、どんな雄弁な励ましより、傷ついた心を包み励ます力が
あるのだと思う。
この曲(歌)を聴くと心が和む、元気になる、勇気が湧いてくる、そんな曲と巡り会いたい。
|
|||||||||||
|
|
|||||||||||